なんてゆーかこの時間はいろいろ考えちゃうね
2017/01/26 05:39
なんか
言葉って生まれた時から溢れていて覚えようと思わなくても自然と話せるようになってるじゃん、母国語は
で、コミュニケーション取る時に一番便利なものだよね
そんな存在の言葉って
実はすごく曖昧なものっていうか、不完璧なものなんだなって気づいた
だから、言葉を放つ側も受け取る側も
完璧だと思ってそれを使うと
真は伝わりにくくなるのかなって
わたしはもう生まれてから携帯電話は身近にあって
小5から自分のを持ち始めて電話もメールも当たり前で
中学生になってから、たくさんのSNSが溢れてて
20歳すぎの今はSNSをやってない方が珍しくて携帯電話持ってないと変人てかんじ
情報が溢れてて
親指一本で正解が見つけられるすごく便利な時代なんだと思う
だけど、その正解の他にも
不正解、憶測、悪意、勘違い
とかたくさんの情報が溢れてる
それを、みんな不完璧な言葉で書かれてることを忘れて
正解だと決めつけてインプットしちゃってるような気がする
言葉を否定してるわけではなくてね
相手が見えない状況での言葉や、SNSわ否定しめるわけでもなく
考えることをやめて全てをインプットしてく危険性てきなものに気づいた気がする
言葉は不完璧だからこそ綺麗だとも思う
例えば本って、字だけの世界で、あとは読み手の想像力次第主人公の姿が変わって、場面の状況も少しずつ違って、受け取るものも変わる
でもこれは、言葉が不完璧だからこそ生まれる世界で、
言葉は繊細で不思議だなーって思う
そもそも言葉って付帯的なものなのかもね
コミュニケーションで核となる部分は
言葉を話している声色、顔、目つき、身振り、状況、他にもきっとたくさんある、言葉以外のものなんじゃないかって思う
そもそも、それを全て把握するのも困難で、向かい合って一対一で話しても伝わりきらないことはあると思う
だけど、その言葉が、身近にありすぎる私たちは
定型文を生んで、1つの意味にまとめ上げて、その後ろでどんなことを考えてるのかもわからないのにすんなりとインプットしたりして
それでわかった気になって
あー、なんてうわっつらだけなんだろって悲しくなったりする
SNSもさ、
そこにある写真や絵、言葉を疑わないで
むしろそれに憧れたりして
わたしは
インスタにアップするためのいい写を必死に撮ってる時間が嫌い
いや、それを目的とした時間なら別にいいんだ!写真はすごく好きだしね!
そうじゃなくて、
何か1つ目的があって、その目的を、インスタにアップするいい写真を撮るための道具になってる時間がほんっとうに嫌い
楽しかった素敵だったって言葉がどんなにたくさん並べてても
それが作り込まれた写真だったら説得力はないし、わたしはそんなことのために今しかない時間を無駄にしたくないなって思っちゃう
そこは何1つ大事なことじゃないと思う
あーこれはかけがえのない瞬間だ写真に残そうならわかる
あー今日ほんっと楽しかった、そいえばあの時写真撮ったしインスタ載せようもわかる
あーすっげぇ暇だわ、おしゃれな写真でも撮ってみるかもわかる
今日はいい写真を撮るための日にしよう!も、いいと思う
ただ、他の目的があったのに
よし、SNSに載せていいねたくさん取れる写真絶対撮ろう、に変わっちゃう時間とか瞬間
は、あんまよくわかんない
そんなことより大事なことがたくさんあるんじゃないかなって思う
目の前で話している人の表情とか
見えている景色が少しずつ変わってく様子とか
風やにおい、空気とか
フィルターを通してじゃ絶対に感じることのできない、五感を刺激するものの方が何百倍も大事な気がする
つまり何が言いたいかっていうとさ
便利なものは使うのは当たり前だし使わないのはちょっともったいないよね
だけどそれが
ゆるがない正解だと思ってしまうとそれは弊害になるんじゃないかなって
だってありがとうって言葉って
ありがとうが大きいほど言いにくくなって、
言ってみたらこんな言葉じゃ足りないって思ったりするし
SNSの為に時間かけて写真撮ってる時間に、
SNSへの写真にあまり関心のないあの子は素敵な瞬間を感じてると思う
つまりはさ
疑似体験を自分の経験だと信じちゃうとそこから世界は広がらないと思うってこと
疑似体験は疑似体験で受け止めて
自分の何にも変えられない経験をしてたくさんのことをインプットすることで世界は何倍にも広がるよねってこと
便利すぎる今の世の中だから気づきにくくなってることで
でもすごくシンプルで大事なことだよねってこと
べつにこれは誰に言ってるわけでもなく自分の考えを忘れたくないから残しとくだけなんだけどさ
まあでも
SNSのための写真を撮る時間は
わたしといる時間には設けないでほしいなお友達たち(笑)みてないってわかってるけど(笑)(笑)