あと5分

2016/8/15   23:55

今日が何の日か一発で思いつく人はどれくらいいるかな
え、リオオリンピック最中?
え、スマップ解散発表翌日?
え、お盆最終日??
8月ど真ん中??

正直私もその問題を半年後に出されたらわからないと思う

今日は終戦記念日です。
71年まえの今日、1945年8月15日に
日本が負けを認めたことで戦争が終わりました

今日は日本の一番大事な日だと思います
どんな祝日よりも大事な日だと思う
まあ、大事なんてあいまいな表現だと人によって個人差もありますし適切じゃないかな、
日本人として一番忘れちゃいけない日
だと、おもいます。

私も半年後に日にちまで覚えてるかはわからないし偉そうなことは言っちゃいけないけど
本当に、忘れちゃいけない日

当時のこの日
長い長い戦いが終わりを迎えて
その時までにたくさんの人が亡くなって
その時を迎えたことで亡くなった人もいて

戦争は残酷だと思います
誰かの欲のために他の誰かを敵だとみなして命を奪います
別に相手のことを敵だとみなしてなくても相手がみなしてるかもしれないからやられるまえにやります。
その相手だってこちらのことを敵だとみなしていくても私がみなしてるかもと思ってやられるまえにやろうとします
会ったこともないし話にも聞いたことすらない誰かを
容姿や着ているもの、聞こえてくる言葉、掲げている国旗の模様だけで、殺すか生かすかを選ぶのです。
もしくは、自分が死ぬことを選ぶか。
これが、戦争ってことらしい

そして一番怖いのは、教育が変わること。
戦争に勝つために、
差別、殺人を正しいと教えこむ

私が生まれた時には、第二次世界大戦は昔話で、
戦争、二度とだめ、絶対
殺人は悪です
差別はやめましょう
って、当たり前のように教えられてきました。
が、もし私が生まれてから今まで
違う言語を話すやつらは人間じゃない、とか
同じ言語話してたって目、肌、髪の色が違うやつとは話すんじゃない、とか
違う国の国旗掲げてるやついたらすぐにやっちまえよ、じゃないとやられるからな
とか教え込まれてたら、私はきっと恐ろしい人間になってたと思います

その国の教育がその国の人々を育てます
その育てられた人の子供は、自身の親と自身の国の教育と共に育ちます
私が教え込まれた教育のほとんどを私は次の世代に教えるでしょう
教育が国を作ると思う

当時、戦争のために相手を殺すことや自分の命を捧げることがなによりも正義だと教え込まれた人たちがいたら、その人たちの中には
あの時あいつをやっていたら
あの時あの爆弾をあの船に落としていたら
あの時自分の命と大量の爆弾を乗せたあの零戦で突っ込んでいたら
なんて思う人もいるかもしれない
そんなことを思った後に
自分の命を自分でたつかもしれない、戦争は終わったのに
それが戦争だったらしい

私は戦争を見たことがない
聞いたことしかない
残酷すぎて耳をふさぐことも多い
事実をありのまま話すのが残虐すぎるからとあえて話す範囲を狭める話し手
それが戦争なんだって

経験した人が何万人もいるけど
その全てを伝えることはどうしてもできない
聞き取る側も全てをくみとれない
見たことがないから

だからね、
一年に一回くらいはね、こんな日があってもいいと思う

今日生まれた人だっているはずだし
今日大好きな人と結ばれた人もいると思う
旅行でアメリカにいる人だっているかもしれないし
そーゆーことは当然喜んで楽しむこと

だから別に今日じゃなくたっていい
365日あるうちの5分でもいいから
考えることが大事なんじゃないかと思う


私は絶対に思い出す話があります

3年前くらいだったかな
夏休みにおばあちゃんち行ったら終戦日近かったからなのかテレビで戦争のことやってて
私はおばあちゃんの作ったごはん食べてて
軽い気持ちで聞いてみたんです
おばあちゃんは埼玉の田舎に疎開してたから怖い思いあんましてないんだっけー??
ほんと軽い気持ち
そーだよーって返してくると思いました
おばあちゃんは畑で銃撃機にやられそうになったんだよ
って
私のおばあちゃんは天然でテキトーですごく穏やかでほんとに苦労なんてしてないような性格だから、嘘だと思いました
だけど、
その避難?先の親戚の家の近くの畑にいたら
敵機がむこうから飛んできたから一目散で近くの森?かなんかに走ったそうです
だけどその敵機は容赦なく何発も何発も撃ってきたそうです

危機一髪で逃げ込めたから今生きてるんだよーって
いつものてきとーな口調で話してくれました。

私の祖母は、小学生の時にそんな経験をしたそうです。何十年も前の話。

涙が出ます。ほんとに。
生まれて10年も生きてない子供を狙うのが戦争だったようです。
私の祖母の話です。
その時もし、本当にもしも逃げきれなかったら、
私はここにいません。

もう1つ話してくれたのは東京大空襲

祖母は埼玉に避難してて
夜なのに明るかったそうです
何キロも先にある東京の街がいちめん真っ赤だったそうです
私の祖母のみた景色です。

私より何十歳も上の人たちが
私より10歳以上したの時の話。
きっと私には耐えられない

私は祖母の実体験を聞いてから戦争をより近くに感じ、より考えるようになりました

私は想像してみました

ある夜、空から雨のように爆弾が降ってくるんです
目を向けられないほどのひどい火傷をした人たちが無数にさまよっているのです

ある日父と兄が兵隊に招集されました
次いつ会えるかわかりません
次会えるかどうかすらわかりません
なのに悲しめません笑顔で万歳と叫ばなければいけません

ある日空から大きな爆弾が落ちてきて強い光を放って何キロもの空間を破壊しました
家は燃えています
母と妹が下敷きになってます
私は何もできません

多くの友達もどこにいるかわかりません
ひとりです

だけどどーにかこーにか生きて子供を産みました。
あれこの子、手がないよ

私の小さな脳をフル回転させて想像できるのはこのくらい

現実は想像をはるかに超えているだろうけど、
想像するだけで涙が出ます

死んでしまうことも怖いし残され生きていくことも絶望的だと思います
これが戦争のようです。


私は戦争による悲しみを持ち合わせていません
聞き、想像することしかできません
だけどそれが重要だと思います

想像だけでも悲しみに負けてしまいそうになるけど
だからこそ、私は今の時代を大切に生きようと本気で思えます
たくさんの犠牲があって今の日本はあります
たくさんの死をもって今の世界があります
世界では悲しい事件がたくさん起きていて
日本の71年前のような状況の場所や人がたくさん存在していると思います

私が71年前の歴史上の出来事にたった1日思いを馳せただけで世界なんて何も変わりません
ひとりの人だって変えられないでしょう
だけど世界の人が過去の歴史を見つめ経験を伝え
同じことを繰り返さないために1日使ったら
世界は大きく変わると思います

私には難しいことはわからないし
汚いところを見てきてないかもしれないから
全部がきれいごとかもしれません
だけどだからこそ
シンプルで単純なことだと思います

過去の事実に思いを傾けてこれからの未来に繋げる努力をすれば
私たちの子供の世界は今より少し平和になるかもしれません

世界平和とか争いのない世界とか
大それたことですが
傷つけ合うことでは失うことがあまりにも多いと思います


こんなことを考えられる私はいまきっと平和なところにいるんだなと
この思いを、平和を繋げていけるように

科学技術となによりも平和への思いが繋がって
いつか地球一周を人々が手を繋いで囲める日が来るといい


夢のような平和を胸に宿し今日を終えます。